top of page

ルターの奴隷意思について

 私は、ルター宗教改革500年記念事業での4冊の推奨本を、教会の皆様と読み合わせて参りました。

 500年を記念してのことですが、この4冊の推奨本(①『マルティン・ルター』、②『エンキリディオン小教理問答』、③『アウグスブルク信仰告白』、④『「キリスト者の自由」を読む』)を出版したこと自体がルターの足跡についてキリスト教を知らない人にも知らしめようとされる日本福音ルーテル教会の熱意は大変なものだと思います。

そして、特に、第4冊目の『「キリスト者の自由」を読む』については、とりわけルター研究所の先生方の、ルターをとことん敬愛するがゆえに、ルターという人が目をひらかされた福音の真髄をわかりやすく解説し、キリスト教を知っている人には改めての教示を、知らない人にも知らしめようとの思いがひしひしと伝わって来る内容でした。

 ルターは、贖宥状などについて学問的な討論をする意図で95箇条の提題を城教会に貼りだしたのであり、それが思わぬ方向の宗教改革になってしまったということだったと思われます。しかし、それはやはり、当時の教会制度に縛られていた民衆を解放しようとする神の御意志だったと思われます。

 特に「義認」についてはルターの体験からの思いと、当時の教会の教えとがぶつかったのであり、一人の修道僧が命をかけて主張したくなるような経験だったのでしょう。

 ルターが聖書から聞き取ったことは、私たちが四の五の言って救われようとしても無駄であって、神が既に独り子イエスを送って義を実現してくださっていること、恩寵によって私たちは既に義とされているのだから、私たちはその恩寵を単純にいただけば良いのだ、ということだと思うのです。

 ルターは、罪の問題からの救いを求めて呻吟しているとき、聖書のパウロの言葉から、義を求めてやまない神、これは裁く神ですが、この裁く神が、愛を持ってイエスをこの世に送り、独り子イエスを贖罪の供え物として、私たちの罪を贖ってくださったということ、すなわち、罪の中にある私たちの罪を、罪にあるままで義とすることを実現してくださった、ということを私たちに示しております。

このことを、『「キリスト者の自由」を読む』はたいへんわかりやすく解説してくれました。

 改めてルターという人のされたことは、すごいことだと思います。

ルターは、『マルティン・ルター』によって示されるように、制度よりも、教会の権威よりも、何よりも聖書に立ち返ることを願ったと思われます。

 当時の民衆は、ミサの意味も分からないままに恵みを受けていたのでしょうが、ルターはそれを母国語で聖書を読めるようにし、『小教理問答』や、『アウグスブルク信仰告白』で示されるように神の恵みの意味を主体的に捉えた上で人々が礼拝に与ることが出来るようにしました。

 ところで、私が、定年退職をして60歳になってから神学校に行った時に、馴染めなかったのは、「ルターの奴隷意思論」という言葉でした。神学校に入る前の職場において、私は相談を受ける際(特にカウンセリングにおいて)、相手の自由意志に委ねて援助するという人間観に基づき援助を試みておりました。それゆえに人間には奴隷意志しか在り得ず、自由意志はないと言われることに馴染めない思いを持っていたのです。

 しかし、ルターは、「人間の意志が自由であるならば、人間は自分で自分を救うことが出来る。そうであれば、神がイエス・キリストを私たちのために送って、十字架に架けて死なせるような形で人間が救われる必要などない。そのことが必要だったのは、いわば人間は自分では神の方を向くことができないからである。」と申しました。

 ルターはさらに、罪に堕ちている人間の意志というのは、罪の奴隷になっているのであり、そこから人間が救いに生きるようになるためには、神のみこころに全く従うという神の僕、奴隷にならなければならないと言い、そういう意味で、人間の意志というものをイエス・キリストの出来事を中心にして考えておりました。

 キリスト教においては、人間は神の像として造られており、神の言葉を聞き、それに答える自由を持つことを認めると考えられております。そして、神の言葉に規定されて決断し行動し得ることが、人間の持つ独自な自由です。

 しかし現実の人間は、アダムとエバの禁断の木の実を食べてしまった原罪という話に示されるように、すべて罪に落ちており、この自由を失っております。したがって現実の人間は、社会的・実存的・倫理的な自由に基づくどのような決断と行動によっても、神の言葉に応えることができないと考えられます。とくに使徒パウロ、アウグスティヌス、ルター等は、現実の人間がその決断と行動によっては、自らを罪の力から解放できないことを強く意識しておりました。ルターは、まさにこの問題を取り上げ、それまで誰も言えなかった奴隷意志を言ったのです。

 すなわち、ルターの人間観は「人間は、魂のゆえに神の像である」が出発点であり、したがって、神の恵みに相応しい者ではある、しかし、自分の生来の力をもってしては必然的に罪のもとに留まってしまうのであり、恵みなしには人間の意志は、自由ではなく奴隷的だ」ということです。

 人間に対し、恩寵によって主イエスをお送りくださった神がおられる、しかし、原罪で示されるように、神と等しいものになろうとする罪を犯している人間にはそれを受け入れることができない、というのです。

 奴隷意思とはラテン語では servum arbitriumと言いますが、これは「拘束された選択」ということであり、人が、その原罪の中の拘束されているところで選択するときには恩寵を受け入れられないことを述べたものだと思われます。

 しかし、ルターは人間の「自由意志」は人間の下にある事がらに関しては認められることを言います。言いかえれば、人間は、自分の資力や財産については、自分が、自分の「自由意志」によって、それらを使用したり、造り出したり、放棄したりする権限をもっていると申します。これとても、もっぱら神の「自由意志」によって、神の好まれる方へ向けられているものではある、と言い、すなわち、神の前以外のところ、「この世のまえ」における人間の自由意志は、常に「神のまえ」における自身の罪を認識し、それを反省する契機を常に維持しながら、神からの委託と神にたいする責任において行使しなければならない、と言っております。

ルターは、神が私たちに働いてくださる場合には、私たちは自発的に意欲して行なうことができ、この世の神(サタン)が私たちを支配している場合にはサタンの欲すること以外は何もできないという違いを次のように述べており、神とサタンの支配の下にある私たちの状態の違いを表しております。

 『人間の意志は、両者の間(神かサタンかの間)に、いわば荷役獣のように、おかれている。もし神が御したもうなら、それは神が欲したもうところへ欲し向かうのである。詩編(73:22,23)に「私は、あなたに対しては獣のようであった。けれども私は常にあなたと共にあった」と言われているとおりだ。もしサタンが御していれば、サタンが欲する方へ欲し向かうのである。いずれの馭者の方へ走りより、いずれの馭者を求めるかを選択する力は、彼にはないのである。むしろ馭者たちの方が、いずれがこれをとらえおのれのものにするかと、せり合っているのである。』

 人間の意志は神の前か、あるいはサタンの前に置かれているのであり、もし神が御すれば神の欲するところに行き、サタンが御すればサタンの方向に行く、とルターは述べております。

アウグスティヌスなどもそうでしたが、従来の考え方では、人間が自分を御する御者だと認識していたのです。しかしルターは、その比喩をひっくり返して、人間が実は御される対象であるというパラダイム転換を行なったのです。ここでは人間を御するのが神であるのか、サタンであるのかということを言っているのです。人間が御される対象であり、誰がそれを御するかということです。

 サタンが運転しているのであれば、いかに安全運転をし、信号を守り、スピード違反をしていなくても、行き先は地獄しかありません。車はサタンの意志に従って目的地を目指しているからです。他方、キリストが運転をしてくれるのなら、危険な道を走っていても目的地は天国でしかありません。

 そして、人間が、神かサタンかの御者を選ぶ力はなく、選ぶとすればサタンでしかないのですが、ここでは、人間を御することになる神とサタンという御者の方が競り合っており、人間には自由がない、とルターは言うのです。

 聖書を改めてじっくり読み、また、4冊の推奨本を、教会の皆様と丁寧に読んで、私が到達したことは、神は私たちを始め森羅万象全てを創造なさった主であり、この前には私たち人間はただただ感謝を持って、畏れをもって十字架による「神の恩寵」をありがたく頂けば良い、それによって主が私たちの車の御者になっていて下さるから私たちはすべてOKだということです。

 なぜに、ルターが魅力的なのか、ルター派の皆様をなぜ夢中にさせるか。私は、特に4冊の推奨本を教会の皆様と読んでいく中でその思いがわかるようになった気がします。

神学校時代の尊敬するある教授が「自分は若いときはルターが余り好きになれなかったが、後年になって、ぞっこん惚れ込んだ」ということを述懐しておられたことがありますが、むべなるかなとの思いを私は持ちます。

私たちは単純に、神の恩寵を「ありがとうございます」、として受け取るだけで良いということを聖書に基づいて、ルターが私たちに示していると思うのです。


Featured Posts
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
Recent Posts
Archive
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page