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私がビールを好きなわけ?~ルーテル教会誕生秘話(番外編)~

 私が交換牧師として働いたドイツ、ブラウンシュヴァイク福音ルーテル州教会の西側の境界線沿いに、かつてはブラウンシュヴァイクに属し、現在は隣接するハノーファー州教会領域のアインベック(Einbeck)という小さな町があります。ここには600年以上の歴史を誇る「アインベッカー・ビール醸造所」があります。中世期、北ドイツの諸都市は「ハンザ同盟」を結成して盛んに海外貿易を行いました。その中で、とりわけ高品質で人気があり、ヨーロッパ中の愛飲家の垂涎の的だったのが、この醸造元の「アインベック・ビール」でした。

 さて、1516年、南ドイツ・バイエルンの殿様ヴィルヘルム4世が「麦酒純粋令」を交付します。いわく「ビールは、大麦とホップと水の三つ以外を使用してはならない」(つまり、それ以外を使用したら「ビール」とは名乗れない)です。当時は自然発酵で、やがて特別な酵母の存在が分かり、16世紀中葉にはこの三つに酵母が加わりますが、ドイツの醸造所は現在でも!この法を遵守しています。ですから、麦芽の1/2以下だったら澱粉(コーンスターチ等)の使用を認める日本のビールなどは「まがい物」、ましてや「発泡酒」等の存在はドイツでは犯罪?なのです!(でも、ドイツ人も発泡酒を美味いと言って飲んだけれど・・・)閑話休題。

 彼のビール好きは息子ヴィルヘルム5世に遺伝、彼は先のアインベック・ビールの虜になります。遠方からのまどろっこしい輸入に我慢ならず、また支払いも滞りがちになり、ついに1591年、彼はアインベックから職人を招き、ミュンヘンに自分のための「宮廷付醸造所」を造らせます。これが現在でも観光メッカで6000人収容の巨大ビア・ホール「ホーフブロイハウス(Hof=宮廷、Bräu=醸造、Haus=家)」です。ここのビールはH.B.(ハーベー)の銘柄で輸出もされ、日本でも有名です。また、今ではバイエルン・ビールの代名詞の一つになっている「ボック・ビール」という呼び名は、実は、アインベックが訛ってボックと呼ばれるようになったもので、もとはブラウンシュヴァイクのお膝元がオリジナルなのです。そして、このホーフブロイハウスは、20世紀に再び歴史に名を残します。あのヒトラーが「ドイツ社会主義労働者党」(ナチス)を旗揚げしたのが、このビア・ホールだったのです。

 それはさておき、アインベック・ビールの歴史とその逸話を紹介したのには理由があります。600年に渡る伝統と、かつてはそこが我がブラウンシュヴァイク州教会領地内だったこと、そして、19世紀になってこのビールが新大陸アメリカに輸出されるようになった際、その瓶ラベルには、ある人物の肖像が描かれることになりました。さて、それは誰か?

 「麦酒純粋令」が出た5年後の1521年4月17日、神聖ローマ帝国皇帝カール5世を筆頭に、帝国各地から参集した諸侯が居並ぶ議会に、一人の片田舎の神学教師が召還されました。自分が出した様々な文書が大きな反響を呼び、恐らくその撤回が勧告されるはずの国会喚問の直前、彼は大変神経質になっていました。そこへ、彼の秘書役を務める婦人が1リットル入りの陶製ビア・ジョッキを持ってきます。彼はそれを受け取り一気に飲み干します。頬にうっすらと赤みが差した彼は、ゆっくりと落ちついた足取りで議場へ歩きだします・・・そうです!我等がマルティン・ルター先生の「ヴォルムス国会喚問」と、そこでの知られざるエピソードです。

 ローマ教会と帝国諸邦による「贖宥状(免罪符)」販売に疑問を呈した「95ヶ条の提題」とルターの諸文書は、折からの活版印刷術実用化に助けられ、瞬く間に多くの人々の共感を得ます。事態を重くみた皇帝が、ルターに翻意を迫り、意見の撤回を求めるためにドイツ中西部の古都ヴォルムスの司教館で開いた国会に彼を召還します。以下、皆様ご存じの通りです。カール5世は「汝は、汝の見解を擁護し続けるつもりか」と詰問します。ルターは「もし聖書もしくは明白な真理によって、私が誤っていると納得させられたならば、取り消します。さもなければ、私は自分の良心に逆らうことはできない。私の良心は神の言葉に捉えられているのだから」と答えます。それに引き続いて有名な台詞が語られます。“Hier stehe ich; ich kann nicht anders”「我ここに立つ。我それ以外なし得ず」。ルターは帝国アハト刑(帝国内での法の保護の剥奪=実質的な死刑)を宣告されます。これが宗教改革の一つの決定的な転換点、ルターの決然とした第一歩、ルーテル教会発足のきっかけ?でした。

 さて本題です。この、ルターをして敢然と、自覚的な「宗教改革者」たらしめた決断の源!力(少なくとも後押しした?)だったのが、一杯のビールであったこと、しかもそのビールの銘柄も特定できると聞いたら、かなり感動しませんか?

 実は、それこそが冒頭で紹介した「アインベック・ビール」なのです。ブラウンシュヴァイクの殿様(我らのパートナー教会のかつての領主!)は、早くからルターの援護者、協力者で、ルターのヴォルムス国会召還を聞くと、「心の安らぎと体力の充実を」と願い、自分の領地の名産アインベック・ビール一樽を寄贈します。これが先のジョッキの中身で、まさに、一杯の平安と体力の充実が、ルターに「我ここに立つ」と言わしめたのです。現在、アインベック社のラベルには、控えめに「創業600年」という小さい字が印刷されているだけですが、ドイツでは誰知らぬもののない、「ルターが飲んだビール」との畏敬が払われ、愛飲されています。つまり、これが本項の結論、「ルーテル教会はビールが生んだ!」、そして、だから「私がビールを好きなわけ」なのです。

 今宵も(いえ朝からでも一日中?)、ルター大先生の偉業を偲び記念し感謝しながら、黄金の麗しき液体を私は愛さずにはいられないのです!!


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