①待望、憧れと喜びをもって
今こそ来ませ(教会讃美歌1番)
11月の最後の主日から待降節が始まる。礼拝では教会讃美歌1番「今こそ来ませ」を歌う教会が多いことだろう。オルガニストがこのルター讃美歌の、バッハによるコラール前奏曲の一つを前奏に弾く教会があるかも知れない。いくつかの前奏曲の中には、主の来臨を待ち望んで、これを待つ憧れる思いが切々と伝わってくるものもある。この讃美歌に基づく、これまたいくつもあるバッハのカンタータを聖歌隊が歌う教会はないかも知れないが、カンタータ61番などは、待ち望んでいる主が来られる喜びを合唱が声高らかに歌うのである。
宗教改革が始まって5年、ワルトブルクでの9ヶ月からウィッテンベルクに戻ったルターは翻訳した新約聖書の出版に続いて、礼拝改革を始め、礼拝への民衆参加を促した。そのためにそれまでのラテン語の礼拝はドイツ語に変わり、司祭や修道士だけが歌っていた歌は、ドイツ語で民衆みなが歌うことになる。着手したのは教会暦の順に歌う会衆讃美歌だった。その最初の一つがこの「今こそ来ませ」である。ルターは中世以来歌われてきたこの賛歌のメロディーにも歌詞にも手を加えて、会衆讃美歌としたのだった。
バッハはルターから200年、ルターゆかりの地で生まれ、その辺りのいくつものルーテル教会、最後には27年もライプツィヒのルーテル教会の教会音楽家として活動した。ルター訳の聖書を読み、その注解を手にして、ルターやその流れを汲む作詞者や作曲者の会衆讃美歌を中心に据えたオルガン曲やカンタータを軸に教会音楽活動を続けたのである。
「今こそ来ませ」を待降節の礼拝で歌うとき、ここにもその背景にあるルターの宗教改革、その信仰を継承した作詞者、作曲者、バッハたちの教会音楽活動の流れの中に私たち日本のルーテル教会も立っていること、それを私たちなりに今日に展開していくことを心に留めたい。
②十字架の主、同時に勝利者キリストの降誕
天よりくだりて 嬉しきおとずれ(教会讃美歌23番)
1737年降誕日の12月25日から新年の1月6日(顕現日)までの6回の礼拝のためにそれぞれカンタータを作曲したバッハはこれをまとめて「クリスマスオラトリオ」とした。「主の命名日」(1月1日、ヘ長調)のほかの5つのカンタータはニ長調を基調として統一されている。
もちろん降誕日のカンタータではルターの作詞作曲の「天よりくだりて」が歌われる。ルターが自分の家庭のクリスマスで、子どもたちもよく知っている「海の向こうから私は来ました」というなぞなぞ歌のメロディーに載せて作詞し、恐らく口伝えで子どもたちに歌わせたのだから、その原詩を直訳して「空高くから私は来ました」と歌うのがよいと私は思っている。全15節の歌詞はそれ自体クリスマスの寸劇の趣きをもっている。後になってルターは現在のメロディーを自ら作曲したのである。カンタータでもこれを聞くと「ああ、クリスマス」と思うのだ。
しかし意外な曲も響く。第1のカンタータの第5曲のコラールが歌われると、心ある会衆はハッとさせられる。歌詞は「どのように私はあなたを迎えましょうか」だが、メロディーはまぎれもなく受難節の「血しおに染みし 主のみかしら」(教81)だからである。主の降誕日に迎える方は十字架への道を歩む方であるから、人はこの方をどうお迎えすればよいのかと問い掛けているのである。
しかもバッハはこのメロディーを、顕現日のカンタータで、全体の最終曲の合唱でも使うのである。伴奏には祝祭にふさわしいトランペットまで用いられて、この主は十字架によって私たちのために勝利をもたらされたという明らかなメッセージを伝える。
降誕節の礼拝に語るべきメッセージの核心をバッハはルターから引き継いでこのオラトリオによっても私たちに告げていると聞くべきだろう。
③主の洗礼と私たちの洗礼
キリスト、われわれの主はヨルダンに来られた
ルターの会衆讃美歌の中には一連のカテキズム讃美歌がある。礼拝でも歌っただろうが、とりわけカテキズム教育の機会に、特に子どもたちと歌ったことだろう。小教理問答に見られる、本来子どもの問いと親の信仰告白の答えに示される短い解説に比べると、歌うのだからかなり長いものの、子どもたちは歌いながらそれぞれの讃美歌が示す信仰を心に留めたに違いない。
洗礼に関するカテキズム賛美歌は他のものより遅く1541年に作詞されたが、翌年には低地ドイツ語にも訳されて歌われているから、待たれていた讃美歌だったと思われる。
ヨハネによるキリストの洗礼から歌い始めて、われわれ人間の洗礼の意味が歌われる。決して短くはない各節だが、それが全7節も続くという長い讃美歌に込められたルターの信仰の思いが伝わってくる。キリストの洗礼は神からの委託の場、われわれ人間の洗礼はキリストによるその委託の実現であって、これによってわれわれ罪人が罪赦されて、キリストと共なる者とされるという恵みがはっきりと伝えられる。
教会讃美歌にこれが訳されて載っていないのは誠に残念というほかはない(『礼拝と音楽』に載る私の訳詩が目に留まるなら、ぜひ見ていただきたい)。教会讃美歌の改訂の際には、このようにルーテル教会にぜひ必要と思われる讃美歌を加えて欲しいと願う。
バッハはこの讃美歌に基づくカンタータや、これを中に含めたカンタータを残していない。しかし晩年のクラヴィア練習曲集第3部にはこれらのカテキズム讃美歌が大小の教理問答になぞらえて作曲したか、大小2曲ずつのコラール変奏がある。手鍵盤で演奏できる小曲の方はぜひとも主の洗礼日の礼拝でオルガニストに演奏してもらい、聞く会衆は自らの洗礼を新たな恵みとして心に刻みたいものである。
④主は真の人で、神
ルカ18章31-43節
この福音書箇所は古くからの聖日日課として顕現節と四旬節の間の受難前節、2月頃の主日に読まれた(現在の教会暦では、C年の今年は四旬節第2主日の日課である)。その福音書日課のルターの説教(私訳近刊の予定)も残っているし、バッハのカンタータもいくつかある。この日課はイエスによる死と復活の3度目の予告の段落と、目の不自由な人のいやしの段落からなっていて、説教者をしばしば困惑させる。どちらか一つの段落だけを選んで説教する場合も少なくあるまい。しかし古くから用いられてきた日課の指し示すところは、二つの段落をはっきり見通して、そこに貫かれている福音のメッセージである。
ルターの説教の一つにはその線がはっきり示されている。イエスの3度にわたる受難予告にもかかわらず、12人の弟子たちにはその意味が隠されていて、なにも分からないのである。しかし道端の目の不自由な人には、前を通り過ぎるイエスがどのような方かがなにほどか分かった。イエスご自身はそれを見て、彼を癒されるのであり、彼もイエスに従う。イエスに癒された人がそのままイエスに従うのはこの場合だけである。この明らかなコントラストが福音として明白に語られねばなるまい。
この日課の主日のためにバッハが作曲したカンタータ127「主イエス・キリストは真の人で神」を私はよく聴く。一方ではイエスの受難予告に対する弟子たちの12通りの疑いやためらいが低音部で密やかに演奏される。他方ではイエスのいやしを信じ、それを得た目の不自由な人の喜びが音楽的に表現される。こうして「真の人」でありながらまた「真の神」であるキリストが指し示されるのである。
C年に登場するこの日課、説教者もその聴き手である会衆も、この2段落の福音から「真の人であって、真の神」であるキリストへの注目を迫られるのである。
⑤主の深い愛に打たれて
血しおに染みし(教会讃美歌81番)
主の受難を心に留める伝統的な讃美歌としては「血しおに染みし 主のみかしら」がよく知られている。長いことクレルヴォーのベルナールの作詞とされてきたが、最近ではその弟子ルーヴァンのアルヌルフの作詞とされていて、四旬節の礼拝でこれを歌わない教会はあるまい。受難曲にも欠かせない讃美歌だった。
ところで、バッハの死後の遺産目録には「カロフ聖書」と呼ばれたルター訳旧新約聖書3巻や2種のルター全集計15巻のほかに聖書注解や説教集などの蔵書が多く含まれていた。当時名を知られた牧師ハインリヒ・ミュラーの『受難節説教集』などは愛読したらしい。ライプツィヒ着任後4年目に当たる1727年の聖金曜日のために「マタイ受難曲」を構想したときには、この説教集に依拠しようと思い、ピカンダーと呼ばれた作詞家にもこの説教集を読んで自由詩を作詞するよう求めた。このことがこれら2つの本文を綿密に調べた研究によって明らかになったのは比較的最近のことである。バッハの「マタイ受難曲」でもこの受難讃美歌はもちろん歌われるのだが、ミュラーの説教集に基づいて作詞されたバッハの「マタイ受難曲」では、この讃美歌ではなく、ソプラノのひとつのアリアが全体の中心テーマになっていると研究者は結論し、この歌詞を自らの研究書のタイトルとした。
すなわち、「マタイ受難曲」の終わりに近く、第49曲のソプラノのアリア「愛ゆえにわが救い主は死のうとなさる」である。高音で、物悲しい調子で歌われるこのアリアの趣旨が説教者のメッセージの中心であり、バッハのメロディーはそれを伝えている。
これを公演で聴きに行く人は(私もいつもそうするのだが)、日本の聴衆と違い、ライプツィヒのトマス教会の聖金曜日の聴衆と同じように、終曲を聴き終えたなら、静かに祈って席を立つようであってよいと思う。いずれにしても「主の深い愛」を心に刻むのである。
⑥十字架の主は復活と勝利の主
主 死にたまえり(教会讃美歌97番)
民衆のために讃美歌を整えながら、ルターは生涯にわたって、主の受難の讃美歌を作詞しなかった。キリストは十字架で終わることなく、受難の主は同時に復活と勝利の主であることを確信していたからである。その意味では、十字架についてどれほど強調しても、ルターは中世に見られた受難神秘主義の立場ではなかった。だからここに選び出した讃美歌のように、主の死をもって歌い出した讃美歌は、死に打ち勝ったキリストの勝利を歌って、祝いの讃美歌となっていく。
バッハは恐らく1714年以前30歳にならないうちにカンタータ第4番を作曲し、以後ライプツィヒでも何度か演奏したらしい。ルターの讃美歌の全7節のみを歌詞としながら、短い前奏を除けば、第4曲の合唱を中心に合唱、二重唱、独唱がシンメトリーに配されるから、この第4曲を中心のメッセージとしてとらえた構成だったと言えよう。つまり「これはすばらしい戦いだった」と歌い出し、「死がいのちと戦い、いのちが勝ちを収めた」と続くのである。私のことを言えば、第5曲のバリトンソロがルターの原詩に即してすばらしい。最終節では復活日の祝会にまで及ぶ歌詞である。
ルターが信仰的にも、説教者としても、この歌詞にどれだけ信仰の思いを込めたかが分かるし、これに応えてまだ若いバッハがこれまたその音楽的表現に力を注いだことも分かる。
この讃美歌こそは主の復活を祝うルーテル教会の、欠かすことのできない讃美歌である。イースターの福音を説き明かす説教の、喜びに溢れた力強さと共に、それぞれの教会でもたれる祝会の喜びと賑わいもまた、ただ一途に、死に対するキリストの勝利をわれわれのためのものとするものでなければなるまい。
⑦みことばを守る
み霊よ くだりてわれらの心に(教会讃美歌122番)
ラテン語からドイツ語の礼拝にした改革の中で、ルターは1523〜1524年に会衆讃美歌を教会暦に従って次々と導入していった。それらは教会暦に応じて会衆と共に歌う宗教改革の信仰の歌だった。聖霊降臨日のためには2曲も残している。「み霊よ くだりてわれらの心に」はその2曲目のもので、14世紀から歌われていた1節だけのものはドイツ語にもなっていたが、ルターはこれに2、3節を加えた。第2節は特に聖霊とみことばと正しい信仰とを強調して、こう歌う。
「あなた、聖なる神、尊い宝よ
いのちのことばをもってわれわれを照らし
われわれが正しく神を知り
心から神を父と呼ぶよう教えてください
主よ、異なった教えから守り
正しい信仰をもってイエス以外には/ほかの師を求めず
全力でイエスを信頼するようにさせてください」(直訳)
バッハは多分ライプツィヒに着任してすぐの、1723年(あるいは翌年)聖霊降臨日第1日の礼拝のためにカンタータ59を作曲した。「わたしを愛する人はわたしのことばを守る」(ヨハネ14・23)の合唱をもって始めて、このコラールを中心に置き、この世がいかに逆らおうと、聖霊に従ってみことばを守る信仰の生がどれほど祝福されたものであるかを歌い上げたのだった。
「小教理問答」の使徒信条第3項「聖霊」の部分も読み返し、新たに心に刻むとよい。聖霊の導きを歌う讃美歌共々、信仰によって立つと言っているわれわれの信仰がいかほどこの聖霊によって支えられ、導かれているか、いささかなりと見えてこよう。聖霊、聖霊とその働きばかりを強調する教派もあるが、ルター以来ルーテル教会は、三位一体の信仰の中に聖霊をしっかり位置づけ、その聖霊による信仰の導きを熱心に祈り、求め続けてきた教会なのである。
⑧主を「大きくする」
マグニフィカト(マリアの賛歌)
ローマ・カトリック教会の信徒研修に東京カテドラルの信徒会館に招かれて、「ルターとマリア」について講演したことがあった。中世以来マリア崇敬を深めてきたカトリック教会が、第2バチカン公会議『教会憲章』で、「マリアを教会の優れた1人」とした後のことであった。
ルターは「マリア崇敬」は斥けた。しかし福音書に基づき、イエスとの関わりのある限りにおいて、マリアを「イエスの母」として注目し続けた。ところでカトリックが「マリアの訪問日」としている5月31日はわれわれの教会暦では関係ないとしても、マリアのエリザベト訪問や、特にそれに続く「マリアの賛歌」はルーテル教会でどう見られ、取り上げられ、注目されているだろうか。
伝統に従って典礼的には「夕の祈り」で「マグニフィカト」が唱えられ、歌われることもあろうが、その「夕の祈り」が守られる例はルーテル教会ではほとんどない。A年の待降節第4主日の日課となっていても、その日にクリスマス礼拝をする教会が多いから、これが読まれ、説教されることはないと言ってよい。
ルター自身は『「マグニフィカト」講解』を民衆のために書いて、中世のマリア崇敬から離れた、マリアへの宗教改革的な注目を民衆に示した。私自身もキリスト教信仰の中でこのマリアの賛歌に適切な位置を示させたいと思っている。突き詰めるとポイントは1つである。
「マグニフィカト」の本来の意味は「大きくする」である。「私の魂は主を大きくする」のである。バッハ自身ライプッヒの夕の礼拝のために「マグニフィカト」を作曲しているが、「マリアの賛歌」を「主を大きくする賛歌」として心にとらえておくことはエキュメニカルな時代、カトリック教会や聖公会との信仰の交わりの中でも大切なことだと思っている。